
date: 2008年01月29日 | text : N島 縦 |RSS|
昨年末に、堪え切れず“トンで”しまった小さなテナントやら不良債務者が今年は殊のほか多く、集金業務の実績も1月は大幅にダウンしそうだった。
2極化社会のひずみは、ここ歌舞伎町にも確実に影を落としている。
おまけに、区役所や法務局を通じてそいつらの後をひととおり追わなければならないので、仕事量が増える一方だった。月末までにあと525万を集めなければ、初めて最低目標額を下回り、信用が厚かった依頼先に頭を下げることになる。
まったく、胃が痛え。
が、こんなときはジタバタ騒がず、逆に心を沈めて静かな時間を過ごすほうがいいことを、俺は経験上知っていた。
暗くなる街を背に、白い息を吐きつつ、隠れ家であるBARの扉を潜った俺は、コーヒーを頼んだ。……珈琲? 意外かも知れないが俺はそれほど酒好きじゃあない。昨晩の二日酔いとアレルギー鼻炎薬と寝不足で靄がかかった頭を、醒まさなきゃあならない。そして、俺の“隠れ家”とは、昼間は喫茶店で営業し、夕方少し休んだ後、夜はスナックに毛が生えたような数種類の酒しか出さない、そんな“超B級”な店なのだ。
思い出した。 高木敏光がデッドラインと言っていたのが今日だったな。
まばらに染みが残るダスターが何枚も干したままのカウンターに座って、ヤツに電話した。
“4日間カンテツ”を高木は終えたのだろうか?
5、6回のコールの後、高木は出た。
「おう」
「ふふ。どないでっか?」
「なんで関西弁なんだよ」
「いや、あんたの小説に出てくる刑事風に、な」
「やめてくれ」
「さては順調でもないな?」
「ぐぶぶ」
「また、それかい。……いっそパーッと遊びにいっちゃったら?」
「いや、初稿の頃はその調子でやっていたが」
「おぅ」
「すでに当初の締め切りを過ぎているので」
「そうなのか」
「サンマーク出版のT編集長に、斬られる」
「今回は、なんとかなりそうか?」
「苦心しとるよ」
「の、ようだな」
「デキを良くするための、ヤスリがけみたいな感じだ」
「うむ。小説にしろ、映画にしろ、要らないとこを省かないと、完成度が、な」
「これでも『ビンタツ』の3倍はある……」
ビンタツとは、ヤツのバイブルである、あの小説のことだ。
「何時間くらいやってるんだ、1日に」
「初稿の時はぶっ続けに18時間くらい書いた日もあった」
「おおー」
「が、そのあと何時間も寝てしまうから、あまり意味がない」
「いまは、9時間くらい書いてるかな。他は寝たり、ぼーっとしたりだ」
「ふんふん」
「気分が出るまでがたいへんだ」
「だろうな。わかるよ」
「気分が入らないと、ただ量が膨大な書類にしかみえない」
「見積書や稟議書とは訳が違うサ。……削るのと、書くのとどっちが大変だ?」
「そりゃあ、初稿でお話を書きまくってるのが、圧倒的にラクだよ」
「そっか」
「だって、目の前に、空中楼閣で、マリアンヌの部屋が出来上がるんだぜ?!
桐子の住むマンションの裏路地も、部屋の調度や冷蔵庫の中身も……」
「彼女らの肌の色や唇のカタチ、部屋のお風呂の湯気、衣服の香りまで、な」
「そう。これが楽しくない訳無いだろ?!」
「ああ。まったく」
いちおう説明しておくと“マリアンヌ”や“桐子”というのは小説『クリムゾン・ルーム』に登場するキレイどころの女達のことだ。
数日前に読んだ物語に棲む彼女らを想い出し、俺はなんだかうっとりしてきた。高木敏光の小説や俺・N島縦の世界にキレイで個性的な女は不可欠である。それは、見た目だけのことを言っているのでは、もちろんない。
「俺はマリアンヌ派だな」
「そうか。編集長は桐子派らしい」
「マリアンヌなら、ウチの経営する店に絶対欲しい」
「おまえのとこって、どうせキャバクラだろ?」
「なんで知ってる?」
「マリアンヌが働く場所じゃない」
「いや、いずれ本格的なBARをやるのが夢だ」
「俺が札幌でやっていた店に、彼女のような有能なバーテンダーがいればな」
「毎日、通うぜ」
「おまいは説教されるぜ、更正しろって」
「うんにゃ、可愛がられるよ、弟みたいって」
「ずっと歳上のオッサンだろうが」
「……マリアンヌって、脚が長そうだな」
小説のなかの架空の女性を肴に、よくぞここまでマジな会話が続くものである。埒もない妄想に耽りながら、俺の仕事のプレッシャーはどんどん解きほぐれていった。
思い出してみれば、ずっと以前から、高木やこの俺にとって小説や映画とは、そんなものであった。日常の退屈や痛みを忘れさせ、今日や明日の夢を培養するクスリであり、カンフル注射であったのだ。
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